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札幌地方裁判所 昭和45年(ワ)1867号 判決 1973年1月30日

原告

笹島健一

右訴訟代理人

入江五郎

外三名

被告

北海道

右代表者知事

堂垣内尚弘

右訴訟代理人

臼居直道

外三名

主文

被告は原告に対し金三五万円およびこれに対する昭和四六年一月一三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り原告が金一〇万円の担保をたてたときは仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  原告

(一)  被告は原告に対し金九九万〇、一〇〇円およびこれに対する昭和四六年一月一三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二  主張

一  請求原因

(一)  事件の発生

1 原告は、昭和四五年一二月二〇日午前零時頃札幌市中央区南八条西四丁目丸岡旅館西側の集合煙筒の支え金の上に背中を同旅館の外壁につけた格好で乗つていたところを札幌中央警察署薄野警察官派出所勤務の佐藤武志巡査に発見された。

2 そこで、原告は逃走しようと考え、直ちに丸岡旅館と隣家広瀬邸との間の石壁に乗り移り、更に広瀬邸の庭に飛び降り、その庭の中を横切つて東側の正門門扉を乗り越え、鴨々川沿いの道路を南進し、これを右折して仲通りを西進し、別紙図面記載のサト麻雀クラブ西側の小路に逃げ込んだ。

3 原告は、右小路で追跡してきた佐藤巡査に追いつかれた後、同図面記載の舟川燃料店のシャッターに押えつけられたけれども、これを逃れて仲通りを東進し、右折して更に鴨々川沿いの道路を南進し、逃走をつづけた。

4 原告は、更に右道路を左折して南八条通りを東進し、つぎにこれを右折し、南九条西四丁目仲通りを南進して逃走したが、同図面記載和田宅前で佐藤巡査に追いつかれた。

5 その後、原告が再度逃走を開始して右仲通りを南方向に走つたところ、佐藤巡査は「撃つぞ」と警告した後、原告の身体に命中させる意図で拳銃一発を発射したが、これが原告の右臀部に命中したため原告は右臀部銃創、大腿骨損傷の傷害を負つた。

(二)  被告の責任

1 佐藤巡査は、右のとおり故意に拳銃を発射し、その結果原告に右傷害を負わせた。

2 仮に本件事案において、佐藤巡査の拳銃の使用が法律上の要件をすべて具備していたとしても、警察官が拳銃を使用するに際しては他人に与えるべき傷害の程度を最少限度に止めるよう慎重に使用すべき注意義務があるところ、(1)同巡査は裸眼の視力が0.3程度であるのに、当時眼鏡をかけていなかつたこと、(2)同巡査は原告に対する追跡および原告との格闘の結果相当興奮していたこと、(3)原告は同巡査の前方一〇メートル位の所を走つている状態だつたことおよび(4)夜間であることを考慮すると、佐藤巡査に的確な射撃を期待することができなかつたのであるから、同巡査は原告に向けて拳銃を発射すべきではないのに、これを怠り、あえて発射したため狙つた足をはずれて右臀部に命中させ、原告に対しより大きな傷害を与えた。

3 佐藤巡査は札幌中央警察署薄野警察官派出所に勤務し公権力の行使に当る被告の警察職員であり、右はその職務を行なうについて、故意又は過失によつて違法に原告に損害を加えたのであるから、被告は国家賠償法一条にもとづいて原告の蒙つた後記損害を賠償しなければならない。

(三)  損害

1 入院治療費(原告は後記のとおり松江病院に入院したが、事件当日から昭和四六年二月二五日までの分)

三九万〇、一〇〇円

2 付添費一九万八、〇〇〇円

入院中、付添を必要としたので原告の知人阿部ふみが一三二日間付添つたが、付添費として一日当り一、五〇〇円が相当である。

3 慰藉料     六〇万円

原告は前記傷害のため事件後直ちに札幌市中央区北一条東二丁目の松江病院に入院し、弾丸摘出手術をしたが弾丸を発見できなかつたため、更に一ケ月後に再手術をしてこれを摘出し、その後昭和四六年四月三〇日まで同病院で入院治療を受け、退院後も毎日山善治療所に通つてマッサージによる治療を受けた。その他諸般の事情を考慮すると、原告の精神的苦痛を慰藉するには右金額が相当である。

(四)  結論

よつて、原告は被告に対し本件事故による右損害合計一一八万八、一〇〇円のうち九九万〇、一〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四六年一月一三日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因第一項1ないし5の事実中、佐藤巡査が原告を発見した日時は否認し、その余の事実は認める。なお、佐藤巡査が原告を発見したのは一二月一九日午後一一時五〇分頃である。

(二)  同第二項1の事実は認める。同項2の事実中、佐藤巡査が右拳銃を発射した当時眼鏡をかけていなかつたことおよび同巡査の裸眼の視力が0.3程度であつたこと、同巡査が原告主張の理由で多少興奮していたこと、原告が同巡査の一〇メートル以上(約一四メートル)前方を走つていたこと、当時は夜間であつたことおよび同巡査が原告の足(足首)を狙つて拳銃を発射したが、はずれて右臀部に命中したことは認め、その余の事実は否認する。なお、警察官職務執行法(以下警職法という。)七条は拳銃発射の結果の軽重、被弾部位によつてその許容条件を規定していないのであるから、警察官が拳銃を使用するに際して、その具体的事態に応じ合理的に必要最少限度の使用であつたか否かを問題とすべきであつて、狙つた箇所に命中したか否かは第二義的なことである。同項3の事実中、同巡査が原告主張のとおりの身分を有し被告の公権力の行使に当る職員であることおよび同巡査がその職務上故意に原告に損害を加えたことは認め、その余は争う。

(三)  同第三項の事実中、原告が松江病院に入院してその主張のとおりの経過をへて弾丸摘出手術を受け、これを摘出したことは認め、その余の事実は知らない。

三  抗弁

佐藤巡査が原告に向けて拳銃を発射して同人に対し前記傷害を負わせた行為は、警職法七条の要件を具備しているので、違法性が阻却される。

(一)  拳銃使用に至る経過

1 昭和四五年一二月一九日午後一一時三〇分頃前記丸岡旅館から前記薄野警察官派出所に「泥棒が入りかけたから直ぐ来てくれ。」との電話による届出があつたので、同所勤務の佐藤武志巡査が制服を着用して右旅館に臨場し、同旅館経営者岡出太市の妻タカの説明にもとづいて防虫用網戸が外されていた同旅館二階洗面所の窓および広瀬邸内に降ろして塀にかけてあつた梯子を見分した後、広瀬邸正門脇の金網塀部分から同邸内を覗いてみたところ、約四〇メートル先に不審な人影を発見したので、直ちに同旅館入口に引返し、その西側に隣接する石塀に上つて同旅館西側壁部分等を注視したところ、同旅館の集合煙筒を固定する支え金の上に背中を壁につけた格好で乗り、同旅館二階六号室の窓ガラスから内部の様子を窺つていた原告を発見した。

2 原告は、佐藤巡査を認めると直ちに逃走しはじめ、前記請求原因第一項2記載の逃走経路を経てサト麻雀クラブ西側の小路に逃げ込んだ。

一方、佐藤巡査は、原告が逃走するのを認めるや否や、原告を住居侵入罪の現行犯として逮捕するため前記石塀を乗り越えて追跡し、更に広瀬邸正門門扉をとび越えたけれども、その際所持していた警棒をその内側に落してしまつた。しかしながら、同巡査は警棒を拾つていては原告を見失うと判断したため、これをそのままにして原告を追跡し、右小路内で自分に向つてくる原告を見つけたので、「おい動くな。逮捕する。」と告げたところ、原告は「なにつ」と言いながら両手を握りこぶしのようにしたうえ、それを自分の腰付近に当てて追つてきた。

そこで、佐藤巡査は自らの受傷防止と制圧逮捕の目的で警棒に代るべきものを探したが発見できなかつたので、原告が約二メートル位の地点まで接近してきた際、拳銃を取り出して右腰に構えたが、原告はさらに近寄つてきたため、体を左前に開き、左手で原告の右肩部を押しつけながら、「壁に向つて手をあげろ。」と命じ、同小路西側の五十嵐アパートの壁に押しつけた。

ところが、原告は同巡査を振り払うように押しかえし、向きを変えて対面様になり、両手で同巡査の前襟をつかみ同小路東側の塵に押しつけたうえ、足払いをかけたので、同巡査は原告の前襟をつかみ制圧しようとしたところ、原告は同巡査の左手を払いのけて逃げだした。

3 佐藤巡査は、右小路から出た所で再び原告をつかまえて背後からその腰部付近に抱きついたところ、原告はそのまま前記舟川燃料店前まで進み、右肘で同巡査の顔面および肩を数回打ちつけた。これに対し、佐藤巡査は、原告の右手首をつかみ小手返しに決めようとしたが、逆に返され、つぎに右手首をつかまれて内側にねじりあげられ、更に襟をつかまれて首を絞めあげられたうえ、足を蹴られた。

そこで、佐藤巡査は、原告を制圧するため手錠を取り出したところ、原告が手錠を所持している同巡査の左手首を強くたたきつけてこれを阻止したため、手錠をはね飛ばされた。

つぎに、佐藤巡査は原告の掴んでいる手をはずして同人を右燃料店のシャッターに押しつけ、更に通行人の応援を得て二人で原告を押さえつけたが、右手錠を探すため通行人が原告から離れた際、原告は同巡査の押さえている左手を強くたたき払い、再び東方に向つて逃走した。

4 佐藤巡査は、手錠を探し出す暇もなく、右原告を追跡して同図面記載木田宅前で追いつき、原告のオーバーの背中辺りを掴んだところ、原告が上体をひねりながら両手で同巡査の手を払つたため、同巡査は転倒して腰部および右肘部に治療一〇日間を要する挫傷および打撲症を負つた。その際、原告も前のめりの状態で転倒したが、直ちに起き上り仲通りを右折して鴨々川沿いの道路を南進して逃走したので、佐藤巡査は一〇メートル後方からこれを追跡し、鴨々川沿いの道路に出た所で拳銃の威かく発射をするためこれを取り出そうとしたところ、誤つて引鉄に指がかかり地面に向けて一発盲発した。

ところが、原告が依然として逃走をつづけたので、佐藤巡査は同人に対し「止まれ。撃つぞ。」と警告したうえ銃口を空に向けて一発威かく発射した。

5 原告は、右威かく発射にも拘らず請求原因第一項4記載のとおり逃走したが、佐藤巡査は前記和田宅前でこれに追いつき、背後から羽交締めにし同宅の玄関に押しつけながら同家人に一一〇番への通報を依頼した。

すると、原告は両肘で同巡査の顔面や左肩部を打ちつけたたうえ、足払いをかけて体を頂けたので、二人とも路上に倒れた。そして、路上で互いに上になり下になりしたが、その間、同巡査が上になつて原告を押さえつけているときには、原告は同巡査の前襟を掴んで首を締め、手拳で同巡査の顔面を突き上げて口唇裂傷を与え、同巡査が下になつているときには、その襟首を掴み、上下にゆすつて後頭部を路面に打ちつけようとした。なお、その際同巡査は、和田宅および旅館豊月園の人々に一一〇番への通報および原告を逮捕するための協力を求めたが、助力は得られなかつた。

その後、同巡査が原告の前襟を掴んで同人を立たせるため中腰になつた際、同巡査は原告の手に同巡査が携帯していた拳銃が握られ、銃口が同巡査の大腿部に向けられているのを発見したので、「危ない。そこにさわるな。」と叫びながら、原告の抵抗を排除してこれを取返した。

6 すると、原告はいきなり佐藤巡査のかけていた眼鏡を奪つて、更に南方向に逃げたので、同巡査は原告が一、二メートル逃走した地点で「止まれ。撃つぞ。」と警告したが、原告がなおも逃げたため約一四メートル先を前傾姿勢で走行中の原告の足首を狙つて一発発射したところ、これが原告の右臀部に命中したため原告は前記傷害を負つた。そして、原告が路上に倒れたため逮捕された。

(二)  拳銃使用の適法性

1 原告が長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者であること

国家公安委員会は警職法の趣旨を受けて警察官の活動基準として「警察官けん銃警棒等使用および取扱い規範(昭三七・五・一〇国家公安委員会規則第七号)を制定し、その第二条に於いて同法七条の兇悪な罪を規定しているところ、抗弁第一項記載の事実から明らかなように、原告が岡出太市方囲繞地に侵入し、屋内窃盗を目的として格子兼用の打ち付け網戸を破壊したのち右囲繞地内に潜んでいた行為は右規範二条三項五号の「窃盗の罪のうち夜間、人の住居もしくは人の看守する邸宅に侵入して行なわれるもの」に、また佐藤巡査との四回に亘る格闘に際して、同巡査に対し暴行を加えてその逮捕行為を妨害した行為は同項四号の「格闘に及ぶ程度の著しい暴行によつて行なわれた公務執行妨害の罪」に、つぎに右格闘中同巡査に対し暴行を加えて治療一〇日間を要する傷害を与え、更に同巡査に暴行を加えて拳銃を奪取しようとし、あるいは同巡査の眼鏡を奪つた行為は同項二号の「強盗、傷害の罪」に、それぞれ該当する。

2 原告の逃亡等を防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと佐藤巡査において信ずるに足りる相当な理由があつたこと

抗弁第一項記載のとおり(1)当時身長一六六センチメートル、体重六五キログラム位だつた原告の腕力、耐久力等が当時身長一六五センチメートル、体重七〇キログラムだつた佐藤巡査のそれらより優れていたため、同巡査は素手によつては原告を制圧できず、かえつて原告の暴行によつて負傷したばかりでなく、原告に拳銃の奪取を図られ、一時はその銃口が同巡査に向けられたこと、(2)同巡査は原告に眼鏡を奪われた結果、追跡能力を失つたこと、(3)同巡査は付近住民に逮捕のための協力を求めたが、その助力が得られなかつたばかりでなく他の警察官の応援も未だなかつたこと、(4)同巡査は拳銃を構えることにより、又はその威嚇発射をして原告に対し心理的な威圧を加えたが、その効果がなかつたこと等の事実より佐藤巡査において原告の逃走を防止してこれを逮捕するためには同人に対して拳銃を発射するより他に手段がないと信じたのは当然である。

3 その事態に応じ合理的に必要と判断される限度内であること

右の状況下に於いて、佐藤巡査は原告に対し警告を発した後その足首付近を狙つて拳銃を一発のみ発射したのであるから右の要件も充足していることは明らかである。

四  抗弁に対する原告の答弁

(一)1  抗弁第一項1の事実中、佐藤巡査が制服を着用していたこと、丸岡旅館二階洗面所の窓の防虫用網戸が外されていたこと、梯子が広瀬邸内に降して塀にかけてあつたことおよび同巡査が集合煙筒を固定する支え金の上に背中を壁につけた格好で乗つた原告を発見したことは認め、原告が右旅館二階六号室の窓ガラスから内部の様子を窺つていたことは否認し、その余の事実は知らない。原告は右集合煙筒で手足を暖めていたのである。

2  同項2の事実中、原告が佐藤巡査を認めると直ちに逃走しはじめ、被告主張のとおりの経路をへて小路に逃げ込んだこと、同巡査が原告を追跡して右小路に入つたこと、右小路内で原告が同巡査の方に向き直つたこと、同巡査が拳銃を右腰に構えたことおよび同巡査が原告を五十嵐アパートの壁に押しつけたことは認め、同巡査が石塀および門扉を乗り越えたこと、同巡査が門扉をとび越えるとき、その内側に警棒を落したことおよび同巡査がその警棒を放置したことは不知、その余の事実は否認する。同巡査は広瀬邸内を逃走している原告に対し「こら待て。止まらんと撃つぞ。」と言つて拳銃を一発発射した。

3  同項3の事実中、原告が同巡査に掴まれた右手をねじつて離したこと、同巡査が手錠を取り出したこと、同巡査が原告を舟川燃料店のシャッターに押しつけたこと、通行人が同巡査と二人で原告を右シャッターに押しつけたことおよび通行人が原告から離れたときに原告が再び東方に向つて逃走したことは認め、その余の事実は否認する。

4  同項4の事実中、同巡査が原告に追いつき、転倒したこと、原告も前のめりの状態になつたこと、原告が仲通りを右折して鴨々川沿いの道路を南進して逃走したこと、同巡査がこれを一〇メートル位後方から追跡したことおよび同巡査が原告に対し「撃つぞ。」と警告して拳銃を一発発射したことは認め、同巡査が負傷したことは不知、その余の事実は否認する。

5  同項5の事実中、原告の逃走経路が被告主張のとおりであること、同巡査が和田宅前で原告に追いつき、その手や体を掴んで和田宅の玄関に押しつけたこと、原告がその付近で転倒したこと、原告が拳銃を握つたことおよび同巡査が「危ない。そこにさわるな。」と言つたことは認め、その余の事実は否認する。

6  同項6の事実中、原告が同巡査の眼鏡を奪つて南方向に逃走したこと、同巡査が「撃つぞ。」と警告して拳銃を一発発射したことおよびこれが原告の右臀部に命中しその結果、原告が前記傷害を負つたことおよび原告が路上に倒れ、逮捕されたことは認め、その余の事実は否認する。

(二)1  抗弁第二項1の事実中、原告が岡出太市方囲繞地に侵入したことおよび原告が同巡査の眼鏡を奪つたことは認め、同巡査が負傷したことは不知、その余の事実(但し規範の存在を除く。)は否認する。

2  同項2の事実中、原告の身長、体重が被告主張のとおりであること、原告が同巡査の眼鏡を奪つたことおよび同巡査が拳銃を構え、その威嚇発射をしたことは認め、同巡査の身体体重は不知、その余の事実は否認する。なお、本件事件発生の現場は繁華街の一角で、住宅等が密集しており、深夜でも人通りがあること、原告は相当距離に亘つて逃走したため体力を消耗していたばかりでなく途中で両足の靴を脱いだため雪道を早く走れなかつたことおよび原告が逃走した南方向には南九条通りをはさんで中島警察官派出所があるので、同巡査は原告を更に追跡して同派出所勤務の警察官の応援を求めることができたこと、原告が兇器類を一切所持していなかつたこと等の事情を考慮すると原告を逮捕するためには同人に対し拳銃を発射するより他に手段がなかつたとはいえない。

3  同項3の事実中、同巡査が警告を発したことおよび拳銃を一発のみ発射したことは認め、その余の事実は否認する。

第三  証拠<略>

理由

一請求原因第一項1ないし5の事実(佐藤巡査が原告を発見した時刻を除く。この点については後に判断する。)は当事者間に争いがない。

二そこで、被告の抗弁について判断する。

(一)  佐藤巡査が制服を着用していたこと、丸岡旅館二階洗面所の窓の防虫用網戸が外されていたこと、梯子が広瀬邸内に降ろして塀にかけてあつたこと、同巡査が集合煙筒を固定する支え金の上に背を壁につけた格好で乗つていた原告を発見したこと、原告が同巡査を認めると直ちに逃走しはじめ、その後同巡査が和田宅前付近で発砲するまでの間被告主張のとおりの経路を逃走したこと、同巡査が逃走する原告を追跡したこと、同巡査が右小路内に入ると、原告が同巡査の方に向き直つたこと、同巡査が拳銃を右腰に構えたこと、同巡査が原告を五十嵐アパートの壁に押しつけたこと、原告が同巡査に掴まれた右手をねじつて離したこと、同巡査が手錠を取り出したこと、同巡査が原告を舟川燃料店のシャッターに押しつけ、更に通行人がこれに加つて二人で押しつけたこと、通行人が原告から離れたときに原告が東方に向つて逃走したこと、同巡査が原告に追いつき、転倒したこと、原告が前のめりの状態になつたこと、同巡査が原告に対し「撃つぞ。」と警告した後拳銃を一発発射したこと、同巡査が和田宅前で原告に追いつき、その手や体を掴んで和田宅の玄関に押しつけたこと、原告がその付近で転倒したこと、原告が拳銃を握つたこと、同巡査が「危ない。そこにさわるな。」と言つたこと、原告が同巡査の眼鏡を奪つて南方向に逃走したこと、同巡査が「撃つぞ。」と警告して拳銃を一発発射し、これが原告の右臀部に命中したこと、原告がその結果前記傷害を負つたことおよび原告が路上に倒れたため逮捕されたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

(二)  そして、右当事者間に争いがない事実と<証拠>を総合すると、次の各事実を認めることができる。すなわち、

1  昭和四五年一二月一九日午後一一時三〇分頃、札幌市中央区南八条西四丁目二五五番地先の丸岡旅館から札幌中央警察署薄野警察派出所に「泥棒が入りかけたので、すぐ来てくれ。」との電話による届出があつた。そこで、同所勤務の佐藤武志巡査が一人で制服を着用して、右旅館に臨場し、その経営者岡出タカから同日午後九時三〇分ころ二階洗面所の窓が半分位開けられ窓の網戸一枚がはずされているのに気付いたこと、更に同日午後一一時三〇分ころ二階の部屋の窓の外に人が立つている影が映つているのを見たので泥棒だと思つて通報した旨の説明を受け、右説明にもとづいて同旅館二階洗面所の窓(別紙図面(オ)点)付近をみると、その外側の防虫用網戸が外され、これに打ちつけてあつた釘の真新しい引抜き跡が発見された。つぎにそのガラス窓に人影が映つたという同旅館二階七号室に案内され、タカより隣家の広瀬邸との境にある石塀から同室の窓口に梯子がかけられていたとの説明を受けたので、これについて見分したところ、その梯子は既に右の場所にはなく、広瀬邸内から石塀に(同図面点)立てかけてあつた。

そこで、同巡査は二階洗面所あるいは七号室窓から同旅館への侵入を企てた犯人が未だ付近に潜んでいるものと判断してその周囲の検索を開始し、たまたま広瀬邸正門脇の金網塀部分(同図面点)からその邸内を覗いてみたところ、同邸内の物置付近(同図面点)に不審な人影を発見したので、直ちに同旅館に引き返し、午後一一時五〇分頃同旅館入口西側に隣接する広瀬邸の北門の石塀(同点)に上つて同旅館西側壁部分を注視したところ、その集合煙筒(右壁から二八センチメートルの間隔を置いて建てられている。)を固定する支え金の上(地上から2.4メートルの高さ、同点)に背中を壁につけた格好で乗つていた原告を発見した。

2  すると、原告も佐藤巡査に気づいて直ちに逃走しはじめたので、同巡査は原告を住居侵入罪の現行犯人と判断し、同人を逮捕するため右石塀から同旅館の敷地内に飛び降り「こら、待て。」と叫びながら、追跡したところ、原告は潜伏箇所から離れて石塀上に乗り移り、更に広瀬邸内の物置付近に飛び降り、同邸内を横切り、同邸東側の正門門扉(高さ1.62メートル)を乗り越え、鴨々川沿いの道路に出てこれを南進し、次にこれを右折して仲通り(広瀬邸南側塀沿いの道路)を西進した。

同巡査は一〇メートル位後方から原告を追跡し、右門扉を乗り越えようとしたが、失敗し、二度目にようやく成功したけれども、その際右手に所持していた警棒をその内側に落してしまつた。しかし、これを拾つていては原告を見失うと考え、そのまま放置して原告を追つた。その後、原告は同図面記載サト麻雀クラブの西側の小路(幅員3.3メートル)に逃げ込んだので、同巡査もこれを追つて約一四メートル位進入したところ、同小路が袋小路になつていたため原告が引き返して同巡査の方に向つて歩いてきた。そして、原告が四、五メートル付近まで近づいたので同巡査が「動くな。逮捕する。」と言うと、原告は「なにつ」と言いながら追つて来た。佐藤巡査は原告の体格が良かつたので抵抗されたら逃げられると思い、原告を心理的に威圧するため原告が二メートル付近まで接近したときに拳銃(ニユーナンブ、回転式、口径9.6ミリメートル)を取り出し銃口を下に向けて右腰に構え、「壁に向つて手を上げろ。」と命じたが、原告が更に近づいて来たので、体を右後方にひきながら左手で原告の肩部に手をかけて同図面記載の五十嵐アパートの壁に押しつけた。すると、原告は壁際で向き直り、同巡査の前襟を掴み、右小路東側の壁に押しつけ、足払いをかけて転倒させようとしたので、同巡査は拳銃をホルスターに納め、既に左手で原告の前襟を掴んでいたので、更に右手で掴もうとしたところ、原告は同巡査の左手を振り払つて逃走した。

3  そこで、佐藤巡査は原告の後を追い、右小路を出たあたりで原告に追いつきその背後から腰部付近に抱きついたところ、原告はそのまま二、三メートル位引きずりながら右肘で同巡査の顔面を打ちつけた。

次に佐藤巡査は原告の体を掴んだ両手をはなし、原告の右手を掴んでいわゆる小手返しに決めようとしたが、原告の力が強かつたため決まらず、反対に右手を掴まれてねじりあげられた。同巡査は「放せ。何をするんだ。」と警告したけれども、原告は同巡査の前襟を掴んだりして抵抗を止めなかつた。そこで、同巡査は原告に手錠をかけて制圧するためこたれを取り出しその右手にかけようとしたところ、原告はこれを叩き落した。次に同巡査は原告の前襟を掴み同人を同図面記載の舟川燃料店のシャッターに押しつけ、更に通行人の協力を得て一緒に原告を押しつけると、原告は一時抵抗を断念した。ところが、同巡査の依頼によつて通行人が右手錠を探すため原告から離れたところ、原告は右前襟を掴んでいた同巡査の手を払いのけて再び東方に逃走した。

4  佐藤巡査は再び同図面記載の木田宅前で原告に追いつき、背後からそのオーバーの背中付近を掴んだ。すると、原告は体をかわして同巡査の手を叩いて振り払つたため同巡査はそのはずみで前方に転倒し腰部挫傷および右肘部打撲症の傷害(当初治療一〇日間位を要するものと診断されたが、三日間位通院して治つた。)を負つた。なお、原告もこのとき前のめりの状態となり地面に手をついたが、すぐ立直つて更に逃走を続け、仲通りを右折して鴨々川沿いの道路を南下したので、同巡査もすぐ起き上つて一〇メートル位後方から同人を追跡した。そして、同巡査としては付近には通行人が居なかつたため他人の助力が得られなかつたし、又原告との格闘の結果相当疲れたので、拳銃の威嚇発射により原告の逃走を防止して同人を逮捕しようと思い、鴨々川沿いの道路に出て五メートル位追跡した後、ホルスターから拳銃を取り出そうとしたところ、誤つて引き金に指がかかり、一発盲発した。ところが、原告は依然として逃走を断念しなかつたため同巡査は右の地点から五メートル位南下した所で原告に対し「止まれ。撃つぞ。」と警告した後更に一〇メートル位進んだ地点で銃口を空に向けて一発発射した。その際、原告は二四メートル位先で鴨々川沿いの道路を左折しようとしていた。

5  原告は右威嚇発射にも拘らず、振り返りもせず南八条通りを東方に向つて逃走を続け、同巡査が別紙図面記載の喜久栄の前付近に達した時には西二メートル位前方で南八条通りを右折しようとしていた。その後原告は南九条西四丁目仲通りに入りこれを南進したが、同巡査はついて同図面記載の和田宅前で原告に追いつき、背後から羽交絞めにして同宅の玄関に押しつけ、同宅の人に一一〇番への連絡を依頼した。原告はなおも抵抗を止めず、そのままの状態で肘で同巡査の顔や肩付近を数回打ちつけたうえ、同巡査を和田宅の反対側に引つ張り、仲通りの真中あたりで同巡査の足に自分の足をかけ後方にそり返るようにして身体を預けたので同巡査は原告と一緒に仰向けに倒れた。

その場で両者は上になり、下になりして格闘となつたが、その際原告は同巡査に馬乗りになつて押さえつけられたとき、下から手拳で同巡査の口のあたりを一回殴つた。(その結果、同巡査は口の中を切つたが翌一二月二〇日午前八時頃医師の診察を受けた際、すでに止血していたし、又同巡査も治療を求めなかつた。)その後同巡査は原告をうつ伏せにして背中に馬乗りになり、その両手を両膝で押さえたまま、この現場を目撃していた旅館豊月園の借家人らに一一〇番への通報を依頼した。そして、同巡査が原告の前襟を掴み立たせようと中腰になつた際、拳銃のつり紐が引張られるのに気づいたので原告の手元をみると、いつの間にか原告がホルスターに納めてあつた拳銃の銃把を左手で握つて銃口を同巡査の大腿部に向けていた。そこで、同巡査はとつさに「危ない。そこにさわるな。」と叫びながら、両手で弾倉付近を押えて銃口をはずし、その抵抗をしりぞけてこれを取り返した。

6  すると、原告は今度は同巡査のかけていた眼鏡を奪つて再び南方向へ逃走した。そこで、同巡査はこれを追跡し、「止まれ。撃つぞ。」と警告したがなおも逃げたので、これを防止して原告を逮捕するためには他にとるべき手段がないものと判断して翌二〇日午前零時五分ごろ右格闘地点から2.6メートル位南下した所で一四メートル位前方を逃走中の原告の足首を狙い立射の姿勢で拳銃を一発発射したところ、これが原告の右臀部に命中し、同人に右臀部銃創、右大腿骨損傷の傷害を与えた。

右発射後、原告は右肩を少し前にするような格好でよろけるように走つた後、撃たれた地点から七メートル位先でうつ伏せになつて倒れたので、同巡査が追いつき、かけつけた札幌南署中島警察官派出所勤務の竹田巡査の手錠を原告に施錠して同人を住居侵入罪ならびに公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕し、奪われた眼鏡も取り返した。

以上の事実を認めることができ、前掲乙第一号証の一ないし三、第七号証の各記載および証人小野菊枝の証言ならびに原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他には右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  被告は佐藤巡査の本件拳銃の発射行為は警職法七条一号の各要件をすべて具備していたから適法である旨主張するので、以上の認定事実にもとづいてこの点について判断する。

まず、警察官が拳銃を使用して人に危害を加えることができる場合を法律の定めるところについてみるに、警職法七条によると、「正当防衛若しくは緊急避難に該当する場合のほかは、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役、禁錮にあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者が、その者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官が信ずるに足りる相当な理由のある場合」とされている。

ところで、前記認定した事実についてみると、佐藤巡査は、逃走しようとして走り出した原告の背後から拳銃を発射したもので、原告を逮捕する意図に出たものであることが明らかであるから、右法条の「正当防衛ないしは緊急避難」にあたる場合でないこともまた明らかである。

そこで、原告について、「死刑、無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる兇悪な罪を現に犯し若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者」にあたるか否かについて検討する。

右認定の事実より明らかなように原告が丸岡旅館西側の集合煙筒の支え金の上に乗つていた所為は住居侵入罪に、また原告がサト麻雀クラブ西側の袋小路、舟川燃料店前、木田宅前および和田宅前各路上で佐藤巡査が同人を逮捕しようとしたのに対し暴行を加えた所為は公務執行妨害罪に、更に木田宅前で同巡査に暴行を加えて腰部挫傷および右肘打撲症を負わせ、また和田宅前路上での格闘の際巡査の口のあたりを殴り、口の中を切らせた所為は傷害罪にそれぞれ該当するのに反し、前記住居侵入の行為が窃盗を目的としたものであることを認めるに足りる証拠はなく、佐藤巡査が前記岡田タカから受けた説明および現場を見て現認した事実からしても原告が窃盗を犯したと疑うに足りる充分な理由があつたものということはできない。また、前記路上での格闘の際、同巡査が携帯していた拳銃を掴んだけれども、同巡査に対する殺意等加害の意思および不法領得の意思をもつてなしたものでないことは原告本人尋問の結果により明らかであるから右行為によつて傷害未遂、殺人未遂および強盗未遂罪などの罪が成立するとは認められない。また前記認定のとおり原告は同巡査の眼鏡を奪つて二〇数メートル逃走したけれどもこれは原告本人尋問の結果およびその前後の情況に照らし単に一時的に逃走を容易にするための行為であることが明らかであるから強盗罪ないしは窃盗罪の成立をいうことは困難である。

右のとおり、原告の行為のうち、丸岡旅館(岡出タカ)に対する住居侵入、佐藤巡査に対する公務執行妨害および傷害の各罪がいずれも、右警職法七条一号の長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を現に犯したこととなる。

しかし警察官は被疑者の逮捕をその重要な責務の一としているけれども、他方個人の生命、身体の保護をもまたその重要な任務としていることおよび警職法一条二項が警察官がその職務を遂行するために必要な手段はその目的のため必要な最少の限度において用いるべきである旨規定している趣旨に照らして、警察官がその職務の執行にあたり武器とりわけ危険性が極めて高度である拳銃を使用して他人に危害を加えることができるのは、その職務の執行の重要性との比較、権衡の点において相当で、その必要性の点において窮極的な場合に限られるべきもので警職法七条一号において単に形式的に一定の法定刑以上の罪にあたる場合をもつて足りるとせず、更に「兇悪な罪」であることを要するとしているのも右趣旨によるものと理解される。

従つて、右に「兇悪な罪」とは単に法定刑の軽重および罪責のみによつて決すべきものではなく、犯行の態様、手段、当該犯行によつて侵害されるべき被害法益の種類、内容、侵害の危急性その他諸般の事情を考慮して具体的に決せられるべきものと考えられる。

なお、「警察官拳銃警棒等使用および取扱い規範」(昭和三七・五・一〇国家公安委員会規則第七号)二条三項によると「兇悪な罪」につき罪名、犯罪の態様の点から具体的な定めがされているが、右は警職法七条一号の適用についてより具体的な基準を示し、その厳正な適用を期する趣旨に出たものと理解されるから、右規範の適用についても、前示のとおり単にそこに定められた罪名、犯罪の態様に該当することのみをもつて足りるとすることはできないというべきである。

そこで、前記各罪についてみるに右住居侵入罪は夜間であるとはいえ特に兇器等を所持していたものではなく(兇器を所持していなかつたことは原告本人尋問の結果により明らかである)、右行為の態様からしてもこれをもつて兇悪な罪ということはできない。次に右公務執行妨害罪にしても、同巡査に対する抵抗はかなり執拗であり格闘におよぶものではあるけれども前記認定したところからすると暴行の内容は襟首を掴んだり、足を蹴つたり、手を叩いたり、肘で顔面や肩付近を打ちつけたり、手をねじりあげたり、口のあたりを一回殴つたりした程度でいずれも素手によるものであつて兇器を使用しておらずその行為の全体を通してみると単に逃走を容易にするための受身の行為で積極的に攻撃的行為に出たものではないということができ、従つてその程度は未だ著しいものとはいえず更に傷害罪にしても右暴行の過程において派生したもので、その結果も三日間位の通院治療で回復した程度であつて、これらの点から判断すると、一連の行為もまた警職法七条一号の「兇悪な罪」にはあたらないものというべきである。

したがつて、佐藤巡査が右原告に対し拳銃を発射して同人に対し前記傷害を負わせたのは違法というべきである。被告の抗弁は理由がない。すると、前記原告の受けた傷害は、佐藤巡査の警察官として職務を行なうについて、故意に基づく違法な行為により生じたものであることは明らかであるところ、右巡査が被告の公権力の行使に当る職員であることは当事者間に争いがないから、被告は国家賠償法第一条により同巡査の不法行為に基づく損害を賠償する責任があるものといわなければならない。

三よつて進んで損害の点について判断する。

原告が本件事件後直ちに前記松江病院に入院し、弾丸摘出手術をしたが、弾丸が発見できなかつたため更に一ケ月後に再手術をしてこれを摘出したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、その後原告は前記傷害のため昭和四六年四月三〇日まで同病院に入院し、原告の受傷の程度は入院期間中付添看護を要するものであつたので、その間肩書地で同居していた訴外阿部ふみが看護に当たつたこと、原告は同年五月一日から七月三一日まで右病院の指示に従つて山善鍼按治療所へ通院してマッサージによる治療を受けたことか認められる。

(一)  <証拠>によると、原告は本件事件による受傷の治療費として金三九万〇、一〇〇円の損害を蒙つたことが認められる。

(二)  右付添費用は、一日当り金一、〇〇〇円が相当であるところ、右認定の入院期間一三二日分合計金一三万二、〇〇〇円は本件事件による看護料として認めるのが相当である。

(三)  ところで、原告は制服を着用した佐藤巡査が適法な職務執行行為として原告を逮捕するため追跡のうえ停止を命じ、拳銃を腰に構え或は威嚇発射して警告を与え、更には一旦は組伏せて手錠を施錠しようとしたなどしてその逃走を断念させようとしたにも拘らず、暴力をもつて執拗に抵抗をくりかえしたことは既に判示したとおりであり、原告の右行為が右佐藤巡査の判断を誤らしめて原告に向けて拳銃を発射させるに至つたものというべきであるから、本件事故の発生については原告にもその責任があることを免れず、右は賠償額の範囲を判定するにつき斟酌せらるべきである。

(四)  原告は本件事件によつて右のとおり治療費および付添看護費合計金五二万二、一〇〇円の損害を蒙つたのであるが、その損害発生については右のとおり原告にも過失があるので、この過失を斟酌すると、被告がその責に任ずべき右損害の賠償額は金二五万円が相当である。

(五)  つぎに、前記認定の原告の受傷の程度、入院および退院の経過、佐藤巡査が同人を逮捕しようとしたのに対し執拗に抵抗した事実その他諸般の事情を考慮すると、本件事件によつて原告が蒙つた精神上の苦痛に対する慰藉料額は金一〇万円が相当である。

四結局、原告の本訴請求のうち、被告に対し金三五万円およびこれに対する本件事件の後である昭和四六年一月一三日(本件訴状送達の日の翌日)以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は、正当としてこれを認容し、その余は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(川上正俊 大田黒昔生 北山元章)

図面<省略>

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